和楽器は海外で人気が高い?日本音楽の歴史とは

人気ボーカロイドが歌う楽曲や、世界中にファンが多いアニメの主題歌などを和楽器でカバーするアーティストが海外から注目を集めています。
カバーは三味線や筝、尺八や太鼓などで構成されることが多く、日本の伝統楽器と流行曲という組み合わせが新鮮に感じられるようです。
動画配信での活動がメインのアーティストがほとんどで、メディア露出がないにもかかわらず多くのファンを獲得しています。
日本人にはなじみのある和楽器ですが、どんな歴史があるのか答えられる人は多くないのではないでしょうか?
そこで今回は日本音楽の歴史について環境スペースが解説します。

 


■日本の音楽の歴史とは?

日本の音楽の歴史は奈良時代までさかのぼれます。
順を追ってみていきましょう。

・奈良から平安時代
親交のあった中国や朝鮮半島から歌曲や尺八などの楽器が伝わり、平安時代には雅楽が誕生します。
平安後期には自分たちで歌曲を作る文化も生まれ、雅楽のメロディに歌詞をつけたものが大流行。
あの後白河法皇が夢中になりすぎてノドを痛めたという逸話も残っているそうです。
今でいう、カラオケで歌いすぎた状況でしょうか?

・鎌倉から江戸時代
鎌倉時代の代表的な音楽といえば「平家物語」です。
琵琶による弾き語りは大反響を呼び、全国に知れ渡るようになります。
このころから音楽を作ることを仕事とし、収入を得る人が多くなっていきます。
その後、能が完成し、三味線が生まれ、浄瑠璃などの文楽が人気に。
江戸後期には歌舞伎誕生し、大流行しました。
能と文楽、歌舞伎は互いの演目をリメイクするなど、いい関係を築いていたそうです。

・明治から昭和初期
明治に入ると海外からクラシック音楽流入します。
このころはクラシックに日本語の歌詞を当てはめるようにして楽しんでいました。
そこに登場したのが作曲家の滝廉太郎です。
滝廉太郎は日本初の西洋音楽として「荒城の月」を発表しました。


■音楽が娯楽となったのは戦後から

順調に歩みを続けた日本音楽ですが、戦争を機に停滞してしまいます。
敗戦により自国文化を軽視する風潮も相まって日本音楽が注目されることはありませんでした。
それが一変したのが1950年に制定された文化財保護法です。
伝統文化として日本音楽を見直そうという動きが生まれます。
1960年代に入ると演歌が誕生し、人々はようやく音楽を娯楽として楽しむようになりました。

 


戦後の法整備により日本音楽が再び注目されたことで、今の和楽器が存在するといっても過言ではないでしょう。
当時、自国の文化として広く海外に認知されるようになるとは誰も想像していなかったかもしれませんね。